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翻訳者たちはいかにして文化の違いを跳び越えるのか

ウォール・ストリート・ジャーナル 5月31日(木)10時5分配信
 もう何年も前の話だが、小説家で言語学者でもあるユーシュル・モリナーロ氏と筆者は、同氏によるヘルマン・ヘッセ著『知と愛』の翻訳について話し合ったことがある。モリナーロ氏はほぼ1年にわたり、その本のドイツ語版を抱えて自宅と作業場となっていたカフェを行き来した。あるとき、好奇心を抑えきれなくなったクリーニング店の店主がついに、同氏が分厚い本を抱えている理由を聞いた。「翻訳しているんです」とモリナーロ氏が説明すると、驚いて目を見開いた店主が聞き返した。「一語残らずですか」

 一語残らず、というわけではない。筆者がフランス語から翻訳した小説9作品のすべてで、英語版の方がかなり短くなっている。英語は意味を成すのに主に構文、あるいは語順に頼っており、一音節の動作動詞を多く使う。一方のフランス語は、その構文の性質上、前置詞と語尾にあふれている。発話されると長いが、より的確なことも多い。

 フィリップ・ソレルスのポストモダン小説『ドラマ』からの7語の文「C'est de l? qu'il lui faut partir」で見てみよう。筆者はこれを簡潔に「That's his starting point(それが彼の出発点だ)」と訳した。筆者はフランス語ではほぼ禁じられている構文、かなり多くの便利な複合語を用いた。「stun gun(スタンガン)」という複合名詞を作る2つの名詞の文法的な結び付きを説明できる人はいるだろうか。フランス語ならその結び付きが明解になる。少し長くなるが、名詞と形容詞が使われて「pistolet paralysant」となるのだ。

 筆者の友人のクリーニング屋が想像したように、一語一語を厳密に訳していく翻訳など存在しない。うまい翻訳をするには、奇術師でもあるべきだろう。本文の一部を手品師の鳩のように跡形もなく消し、自らの感覚で部分的に手直しして全く違う場所に復活させる。これはすべての生き生きとした魅力あふれる翻訳の決まりの悪い事実である。

 本文が描写していることが自分たちの文化では非現実的に思えるとき、翻訳者たちはときに自らの見解を差し挟む。たとえば、パリの住人が平日に3時間かけて取る昼食を退屈で日常的なこととして描かなければならないという現実に直面することがある。そんなときはどうするか。とにかくそのまま進み、読者の大半がフランスの文化に十分精通していて、そのきわめて日常的なことをひどく非現実的とは思わないことを願うばかりである。

 著者や編集者と協議し、根本的に新しい解決策を見出すしかない場合もある。筆者がデービッド・フォエンキノ著『デリカシー』を訳しているときに、このような事態が数回起きた。フランス語版では、ある重要な登場人物がフランスの大統領候補セゴレーヌ・ロワイヤル氏をテレビで見て、自分の決意を取り戻す。ところが米国人がその部分に差しかかると、ロワイヤル氏がバラク・オバマ氏に変更されていることに気付くことになる。

 文化的な違いが最も露骨に表れるのは、翻訳の破たんとも考えられている言語学的難題、だじゃれである。グレゴワール・ブイエによるだじゃれだらけの滑稽な回想録『Report on Myself』の翻訳では、いくつもの不完全な解決策を編み出さなければならなかった。この本の中でブイエはロランス(Laurence)という名前が腐った水(l'eau rance)に聞こえると指摘し、ガールフレンドの名に泥を塗っている。筆者はこの言葉を「low rinse」と訳すより他なかった。同じガールフレンドがブイエの気を引こうとして言ったセリフ「あなたに魅かれているの(Tu me plais)」に対してブイエはばつが悪そうにダジャレで返す。「なんの傷について話しているんだい(De quelle plaie parlez-vous?)」。この部分を筆者は、「You appeal to me」とその返しとして同等に不愉快な「Who's peeling, Miss?(誰の皮がむけているって?)」と処理した。

 本の表題も厄介な問題である。たいていの場合、原語に忠実であることよりも、文化的規範やマーケティングの観点が優先される。筆者が表題で経験した最も面白い事例は、ヴィルジニ・デパントのパンク・フェミニスト小説『Baise-Moi(ベーゼ・モア)』で、その直訳は下品すぎて本稿に書くことができない。編集者たちは悩んだ挙句、『Rape Me(強姦して)』で手を打つことにした。これが正当化されたのは、オルタナティブロックバンド、ニルヴァーナのアルバム『イン・ユーテロ』に同じタイトルのパンクっぽい曲があったからである。

 そうするより仕方なかったのだろう。最高の翻訳とは厳密には本物でなくても本物として通ってしまうものなのだ。

(筆者のブルース・ベンダーソン氏は米国の小説家、エッセイスト、翻訳者)

*******************

前回、映画の字幕翻訳の大変さに触れたが、小説の翻訳でも表題や冗談など翻訳に手こずることがままあるのだ。
一語一句を忠実に訳しただけでは翻訳にはならない。
その小説のできた文化的背景や歴史等を踏まえて、合わせて読者に伝えることが翻訳者に求められているので班内だろうか。

byMT
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Date: 2012.05.31 Category: 未分類  Comments (0) Trackbacks (1)
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